大正後期、日本人の栄養不足改善のため、栄養価の高いピーナッツバターを
製造していたJ・B・ソーントン宣教師の行いに感銘を受けた創業者、石川郁二郎が
1942年に製造技術を譲り受けたことがソントンのはじまりです。
ソントンのはじまり
大正後期、アメリカのキリスト教宣教師J・B・ソーントン師は布教活動をしながら、当時の日本人の貧しい栄養状態を改善するために、栄養価の高いピーナットバター(当時の表記)を製造し、教会の維持費に充てていました。
創業者の石川郁二郎は、ソーントン師の活動する姿を見て「自分もこのような仕事をやってみたい」と思い、ピーナットバターの製造技術と名前を使用することの許可を得て、1942年(昭和17年)にピーナットバターの製造を開始しました。1948年(昭和23年)に当社の前身となる会社を設立し、今日の発展に至る事業が開始されました。
昭和25年頃、ソントンでは、加糖ピーナッツバター(ピーナッツバターに糖蜜を加え加熱混合したもの)を紙容器に詰めて販売していました。ピーナッツバターに糖蜜を加え、甘味のある仕上げにしていたのは子供の食べやすさを考慮して作られたものです。
昭和27年、幾度となく試作を繰り返した結果、今までのピーナッツバターに比べ、色はずっと白く、口に入れてみると舌触りも滑らか。それでいてピーナッツの香ばしい香りが口に広がる。その上品な仕上がりを口にした石川郁二郎社長は成功を確信しました。これが、ソントン発展の礎となったピーナッツクリーム誕生の瞬間でした。
当時、近隣のパン屋さんでは、手軽な昼食にコッペパンにジャムを塗ったものが売れていました。そのジャムの代わりにピーナッツクリームを塗ってもらったところ評判になり、売れ行きは好調。これを伝え聞いた周辺のパン屋さんからも引き合いが増え、たちまち生産が追い付かなくなり、工場を増設し生産設備を整えていきました。この当時の主な商品は、「ピーナットクリーム」に「ピーナットジャム」、それに「ピーナットチョコ」の3種類で工場は常にフル稼働で生産に追われていました。
昭和30年代に入ると大衆消費社会を迎え、ソントンも消費者のニーズへ応えようと新商品の開発により一層力を注ぎ、商品を長期間保存するための試行錯誤が始まります。
まず、昭和29年頃に加糖ピーナッツバターをアイスクリーム容器のような紙容器に充填し販売。次に、ピーナッツクリームやいちごジャムなどをセロ袋入りで販売。どちらも着眼点は良かったものの、当時の製造技術では長期間保存が困難でした。
しかし昭和35年頃になると、容器メーカーとともに商品の長期保存性を確保し、安全性にも優れた紙容器の開発に成功。その翌年には「ファミリーカップ」として製造が開始。当時のラインナップは、「イチゴジャム」、「オレンジマーマレード」、「ピーナッツクリーム」、「ピーナッツチョコ」の4種類でした。
現在もこのファミリーカップシリーズを始めとしたソントン商品は、
時代のニーズに応え、皆様の食卓に安全、安心、おいしさをお届けしています。
ソントンのマスコット
トンちゃん